舍那院
愛と縁結び
愛染明王
毎年春分の日 13:30~涅槃会彼岸会法要
毎年8月12日 13:30~施餓鬼会法要
毎年秋分の日 13:30~ 彼岸会法要
毎年12月31日 23:30~
除夜の鐘 年越し法要
★芙蓉は気候により変わりますが
8月盆頃~9月中旬、
時に10月にかけて咲いています★
★朝から午前中にかけて咲き、
夕方には萎みます。★
★一輪ずつ一度だけ咲くため、
たくさん咲く時期の予想は
むすかしいです★
★例年、酔芙蓉は9月に入ってからの
開花が多いです★
★リアルタイム状況は
インスタグラム
fuyou_flower
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を参考にされてください
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建造物
●本堂宝暦四年(1754年)八幡講を結んで資金をつくり、明和七年(1770年)大工頭村居九兵衛が工事に着手、文化七年(1810年)落慶を見るまで、57年の長年月を費している。七間四面総欅造り。●護摩堂(不動堂)県指定文化財簡素な中にもゆるやかな軒反りの屋根が美しく、室町時代の建築様式を示し、中世の遺構の少ない護摩堂として貴重な古建築である。●鐘楼宝暦五年に大工頭村居九兵衛により建立されたもので袴腰式。梵鐘は銘文がないが、龍頭の形式、唐草紋の意匠などにより、室町時代のものと推定される。●その他観音堂(昭和十七年の復興前の本堂)・太子堂・弁天堂・閼伽井・茶室・収蔵庫二棟がある
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舎那院は弘仁五年(814年)弘法大師の開基と伝えられ、源義家が前九年の役(1051年)において、陸奥国阿倍宗任・貞任征討祈願により凱旋の功ありとして、延久元年(1069年)後三条天皇より勝軍山の勅号を賜わり、勅願の神宮寺として勝軍山新放生寺八幡宮を御建立、社坊三百あまりを数え、天文五年(1536年)には後奈良院より車輌三千石を賜わる。しかし、元亀・天正の兵火にかかり、天正十九年(1591年)秀吉が再興をはかり、七十坊となったが慶長・寛永には三十余坊、天和年間には二十一坊と次第に衰え、明治維新の廃仏毀釈(神佛分離)令により、学頭寺の舎那院(当時遮那院)を除く当時残存の六坊は廃寺となり、本尊愛染明王・阿弥陀如来を始め、一山の佛像・宝物等は舎那院に移された。その後荒廃の一途を辿っていたが、檀信徒一般有縁の浄財により、昭和十七年(1942年)現状の舎那院に整備されたものである。
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主な寺宝
佛像
本尊木造愛染明王座像(秘佛)
鎌倉時代 重要文化財
本尊木造阿弥陀如来座像
平安時代 重要文化財
木造薬師如来座像
平安時代 市指定文化財
工芸
素文磬
平安時代 県指定文化財
金銅透彫幡
室町時代 市指定文化財
絵画
絹本著色三月経曼荼羅図
鎌倉時代 重要文化財
絹本著色不動明王像(青不動)
室町時代 県指定文化財
絹本著色十六羅漢像
室町時代 市指定文化財
絹本著色愛染明王像
室町時代 市指定文化財
書跡
舎那院文書
桃山時代 市指定文化財
関係事項
境内の心字池(放生池)の中央には、
頌徳三年(1713年)
彦根城主井伊直該公御寄進の
石地蔵尊が安置されている。
かつては、小堀遠州行晩年の作である三畳八窓の名茶室があったが、大正八年北海道へ売却され、現在札幌市の中島公園内にあって
重要文化財に指定されている。
史跡 八窓庵(旧舎那院忘筌)
札幌市中央区中島公園1
源義経は都落ちの折、堅田の浦から近江源氏にゆかりの深い八幡宮の別当寺である舎那院に逃れてきた。当時の執事、長善は既に長浜(当時今浜)の地は危険なため、木之本の浄信寺へ急がれるよう進言し、義経主従は木之本地蔵院に一泊している。
名僧亮汰僧正が真言宗豊山派本山長谷寺の大十一代能化(管長)となる直前の漢文十二年(1672年)から延宝八年(1680年)の間、舎那院を隠居として著作と講説活動に専念した。
3月28日は、故西田天香師が31才の時、愛染堂(今の本堂)で悟りを開かれた記念の日で、その頃毎年夜を徹して一燈園の参籠が行なわれる。
夏から秋にかけては芙蓉の寺としても有名である。
滋賀県長浜市宮前町13-45
勝軍山 新放生寺 舍那院